設立の経緯

1997「留学生から学ぶ外国語教室・インドネシア語初級クラス」→1998インドネシア語学習サークル「アパアパ研究会」→2003インドネシアの子供の教育を救う会

Mei 1997

福岡国際交流協会主催(現・福岡よかトピア国際交流財団)「留学生から学ぶ外国語教室・インドネシア語初級クラス」で、Arief Sartonoさん、Arif Nur Hakimさんよりインドネシア語を習いました。NPO法人トゥマンハティふくおかの理事はこの時の受講者が中心です。



April 1998

前年度のインドネシア語クラスの受講者たちで、「アパアパ研究会」(代表:弥栄睦子)を設立し、Arif Nur Hakimさん、Rahman Hidayatさんから引き続きインドネシア語を習いました。留学生からの誘いで、当時、香椎浜にあった九州大学留学生会館へ度々行くようになり、留学生や技能実習生たちと仲良くなりました。


September 2001

ンドネシア留学生有志、アパアパ研究会、日本人有志で、西スマトラ州パダンから舞踊団を招聘するため、西スマトラ伝統文化紹介実行委員会(代表:インドネシア市民の会 Ohata Osamuさん)を2000年に結成しました。2001年9月に「シンゴ・バランタイ舞踊団」が来日。市内2か所及びアジアマンスのステージなどで公演しました。九州大学留学生会館のMoriyama Hideo教授に全面的なサポートを頂きました。


Juni 2002

アジア通貨危機によるルピア暴落で、学校を続けられない子供たちが急増したことから、PPIFは、アパアパ研究会などの協力を得て、第1回「インドネシアの子供の教育を救おう インドネシア・チャリティ・デー」を開催しました。


Mei 2003

PPIFは、Moriyama Hideo教授や他のNGO団体リーダーを招いて、NGO設立のための勉強会を開催しました。この場で、今後もインドネシア留学生と日本人が協力して、インドネシアの貧しい子供たちへの教育支援に取り組んでいくことを決め、PPIFは組織内に半独立した奨学金部(BSOB  PPIF)を作りました。


1 Juli 2003

PPIFの奨学金活動を支援するため、アパアパ研究会が核となり、「インドネシアの子供の教育を救う会」(通称Teman Hati)を設立しました。    

会長:Moriyama Hideo(九州大学教授)

副会長・事務局長:Mie Chikako(アパアパ研究会会長)


2014

インドネシアの子供の教育を救う会をNPO法人化。名称を「NPO法人トゥマンハティふくおか」に改める。

代表理事:Mie Chikako

名誉顧問:Moriyama Hideo